エピソード

今さらですが

私のパーソナルトレーナーに至った

これまでの経緯をお話しします。

 

簡単に生い立ちから。

東京生まれの32歳

3歳から水泳を始め、幼稚園

にて剣道をやるが

近所の友達の誘いで無理やりスタート

したため2年で辞める

 

小学校に入り、水泳もつまらなくなり

何か新しい事したいなと

思っていた時に

サッカーに出会いました。

 

小学校2年生から高校3年まで

サッカー漬けの学生生活

でしたが、高校2年生までは

何故だか建築関係の仕事を目指し

理系専攻でした。

 

しかし、高校1年の終わりぐらいに

身長を伸ばすために、

牛乳を1日3リットル

米を1日3合程食べていましたが

身長は止まり、逆に身長165cm

で体重が74kg

というデブ体型になりました。

 

ここで、私は身長が伸びる事を

諦め筋肉を付けようと部活後

フィットネスジムに通いました。

 

週4回、原付で、20分かけ

21時から23時までトレーニン

 

この時は、マシントレーニングを

12種類程 12回×3セット

有酸素運動として

ランニングマシーンを40分ほど

(時速11〜13km)

行ってました。

さらに、夜ご飯茶碗3杯食べていた

白米を茶碗半分にしました。

昼の弁当も小さいおにぎり2つ

 

完全に我流でした笑

 

が1ヶ月で約15kg体重が落ちました笑

 

着る服が無くなったのを

今でも覚えてます。

母に『ブカブカになりすぎて服が

着れないから、1万円をください』

といい初めてファッションに目覚めました笑

→高2の春

 

また、地元の友達とすれ違った際に

こっちは気付き手を振っていたのですが

無視されました笑

別人になっていて誰かわからなかったと笑

 

この辺りから身体が

軽くなった事で身体を動かす

楽しさを覚えていきました。

 

そして、高校3年の春

高校生活最後の大会直前に

肉離れという怪我をし全治2週間。

大会まで約3週間という状況でした。

 

私は、キャプテンだったのもあり

何とかして試合に出たいと思い

整形外科の先生に言われた通り

治療し、大会3日前に復帰

 

間に合った!

 

と思いボールを右足で蹴った瞬間

激痛が。。。

 

全然良くなってない。

しかし、大会まで時間がなかったので

テーピングを巻き何とか試合には

出場しました。

 

しかし、全く出し切る事が出来ず

チームも負けてしまいました。

 

今思えば、整形外科の先生の治療は

電気等で後は安静。

 

これでは、ただ日常生活では

痛みは治まりますが、それは

炎症が落ち着いただけで組織は

全く良くならない。

復帰のプロセスが間違えてました。

 

10年以上真剣に取り組んできた

ものを不甲斐ない形で終わってしまった

この時の悔しさ

 

私は悔しさと同時に、同じ境遇の人を

少しでも救える事は出来ないのか

と考え

医療系の道を模索し

柔道整復師の専門学校へ通い

3年後国家試験に合格しました。

 

ここで、手に職を得た私は

『修行したい』と思い立ち

誰も知り合いがいない

何も知らない土地で

プロのスポーツトレーナーになれる

この3つの条件で学校の先生に

探して頂き

 

一つだけお話がきました!

九州、大分です。

 

ん?!

どこだ!?

と思いましたが、そんな簡単に帰ることが

出来ない場所である事が

分かり直ぐに履歴書送り、採用。

 

何故このように考えたのかというと

今まで多くの仲間に囲まれて、家族に

助けられてきたので

自立していく力をつけたい

と思い、完全に思い付きの行動でした。

 

ここからは

大分で鍼灸整骨院に入社し

朝8時から23時まで仕事し

その後、治療練習

という生活を1年半ぐらいしました。

 

今でいうブラック企業だと

思いますが、私はプロのトレーナーに

なる為の必要な通過点で

人と同じ事していても辿り着けないと

考え無我夢中で仕事に邁進してました。

 

覚悟が決まっていたからか

一年後には副院長

3年後には院長になりました。

 

また、入社して1年間は県内no.1の

大分舞鶴高校ラグビー部のトレーナー

として一緒に帯同させて頂き

その後も社会人ラグビー部やハンドボール

こうこ、大学サッカーなど

多くの経験をさせて頂きました。

 

この時は遠征で車で移動していたので

カーナビなしである程度

九州全域行きました笑

 

大分へ来て5年

治療院は1店舗から店舗を拡大し

3店舗になり

統括マネージャーとしての役職を

頂き3年間従事。

この時も現場での活動を続け

21歳から足掛け8年目の11月下旬

 

オーナーから

大分トリニータの専属トレーナーの

話があって一度、強化部の方と話をしないか

と言われました。

 

私はこの時、約10年になるのと

自分がもう一段上のステップへいきたい

と考え、東京に戻る方向で話ていたので

正に寝耳に水でした。

 

 

東京に戻るか

大分でプロのトレーナーになるか

考えもせず、当然大分での道を選びました。

 

この時私は、自分を信じて

続けて行けば道は開くという事

を学びました。

 

その後、大分トリニータの強化部の方

と面談し、無事採用!

 

ここから、怒涛のような日々でした

決まったのが12月中旬

この時期はjリーグがオフの期間なのですが

来季に向けての準備や引き継ぎがあり

休む間も無く

プロの世界へ飛び込みました。

 

ここでの経験は

後程詳しく書きますが、

プロというのは、求められている以上

のパフォーマンスを発揮する

この為に、必要な準備をしています。

 

そして、サポートする私達のような

裏方の人間も相手がプロなので

当然高い要求がきます。

 

知らないは通用しません。

本当に多くの経験をさせて頂き

結果的にもj3というカテゴリーで

優勝しました!

 

約2年携わり

治療、トレーニングを数多く経験した

上で、身体のことで苦しんでいる、悩んでいる方に真正面から向き合いたいと思い

東京へ戻り、独立

同時に夜間で鍼灸専門学校に通っています。

 

世の中の方がより良い

自分を手に入れる為に1人1人に

最善のサポートをしていく事が

今のモットーになっています。